一.桔梗(シチロージ&キュウゾウ)
(1)出会い―@
キュウゾウはその日、カムロ数人とアヤマロの付添いで蛍屋に来ていた。
ヒョーゴは生憎と別の用事から帰っておらず、キュウゾウは酒の臭いと女の化粧の匂いに酔い少し風に当たろうと濡れ縁に腰を下ろしていた。
最近、町は至って平和で護衛の仕事といってもアヤマロの話し相手(頷くぐらいの事しかしてはいないが)ばかりで、少しばかり苛立っていた。空にいた時の高揚感が忘れられず日に日に思いは募っていくばかり・・・
「何かお持ちいたしやしょうか?」という声が聞こえ振り向くと、変わった髷の目元が涼しげな男が「酔い覚ましにはよいお月見日和でげすね。」とつぶやくように言うとひらりと踵を返しもと来た道を帰っていった。
(いつもは人の気配は気付くはずだが、・・・変な男だ。)と思っていると先ほどよりも近くで男が「良かったら」と湯飲みを床にポンと置いた。
「!・・・これは?」 「ゆず茶でございやす。お侍さん何だか酷く御疲れに見えやしたので」と微笑むとまたひらりと奥の方に消えていった。(甘いものは久しいな。)なんだか懐かしい味がした。
(1)出会い―A
アヤマロは蛍屋を酷く気に入った様子で、足繁く通っていた。その度に例の変わった髷の男は、ゆず茶時には番茶を持ってきてくれた。何を話すのではなくそれは短い時間だったが、不思議とキュウゾウのささくれ立った心を静めてくれる時間となっていった。知っている事といえば、シチロージという名前と同郷らしいということ、そしてかつては侍だったという事・・・
ある日、またアヤマロの供で蛍屋に来ていた時の事、縁に出てみるとやさしい、しかし寂しげな三味線の音色が流れていた。普段はそういった事に疎いキュウゾウだが誘われるように音の方に近づいてゆく。いつもと調子が違い泣いている様にも見える横顔のシチロージが座っていた。キュウゾウに気付くといつものふわりとした笑顔を向け、
「これはキュウゾウ殿、何かお飲みになりやすか?」
「・・・続けてくれ。」と呟くと自分も腰を下ろしシチロージの背にもたれた。一瞬、ぴくりと身じろぎをしたがシチロージはすぐに三味線を掻き鳴らす。
「空が恋しいでげぇすなあ・・・」己に語っているのかそっと息を吐く。
「何故、侍を辞めた?」
「機会があれば、一度手合わせ願いたいですね。」
「是非・・・」と言ってキュウゾウは立ち上がった。
帰り道、ヒョーゴが怪訝そうな顔をして「何だか嬉しそうだな」とキョウゾウの顔を覗き込んだ。
(次の休みの日にでも・・)
(1)出会い−B
シチロージは皆が寝静まった早朝よく1人で槍や竹刀の稽古をしていた。侍に戻れるとは思ってはいなかったが、何もしないでいると妙に腕が疼いて眠れないのだ。竹刀を振り槍を振るい腕が上がらなくなるまでただひたすら無心に・・・今のシチロージにとって素の自分に戻れる唯一の時間だった。
この日もいつもの様に竹刀を振るっていると、ユキノでは無い、人の気配がして振り向くとじっとこちらを凝視したキュウゾウが立っていた。
「・・・手合わせ願いたい。」
シチロージがはふっと笑みを漏らし竹刀を渡した。久々の手練との立ち合い、シチロージは嬉しさを隠し切れない。一太刀、二太刀と交えるほどに二人は場所を、時を忘れていった。キュウゾウが突きの構えを取りシチロージがかわそうとした一瞬、「・・・・っ!」かわし損じて吹っ飛んでしまった。喉笛の横がじんじんと痛み、呼吸がうまく出来ない。そして思わず駆け寄ったキュウゾウの顔をじっと見詰める。
「かわせたはずだ。」
「何だか私の知っているお方と顔がだぶってしまって・・・何ででしょうかね。ちっとも似てやしませんのに・・・・。」
キュウゾウが起こそうとした時、反動でシチロージがよろけ、額がキュウゾウの肩口にあたる。
「・・・・もう少しこのままで。」シチロージが呟く。
知らず知らずのうちにキュウゾウも頭に手を回していた。
シチロージに聞こえるのは虫の声とキュウゾウの心の臓の音のみ、キュウゾウに見えるのは小刻みに揺れる髷とそこに止まる蛍の光。
(1)出会い―C
それからというものキュウゾウはアヤマロの供以外にも暇を見つけては蛍屋に通っていた。
ある日キュウゾウが蛍屋へ向かうと、近くの柳並木の下で、歳は40位の髪が長く顎鬚を蓄えた男がじっと蛍屋を見ている。その寂しげな視線を辿るとシチロージがいつもの様に槍を振るっていた。一瞬、男はキュウゾウに凄まじい殺気を孕んだ視線を向けそしてゆるりと背を向けて去っていった。キュウゾウも何か知らないがどうも落ち着かず、その日は蛍屋へは寄らずそのまま御殿へと戻った。
しかし何故かしばらくすると、シチロージに会わずにはいられなくなり、自然と足は蛍屋に向かっている。 ある時は共に竹刀を振るい、ある時はシチロージの三味線を聴きながらその背に凭れてゆず茶を啜る。そしてぽつりぽつりと他愛も無い話をする・・・
− 何時だったか、今度戦があるときは共に戦おうと、今度は敵同士でなく味方として−
侍の時代が終わった事は分かり切っているが、二人でいる時は共に空に思いを馳せる。
「万に一つ、敵味方に別れてもキュウゾウさんに斬られるのでしたら、あっしは本望でございやす。」おどけた口調だが目は真剣そのものでシチロージは三味線を掻き鳴らす。
−いつか共に空へ−
後から思えば二人にとって穏やかな陽だまりの様な日々
(1)出会い―D
「シチロージを見つめていた男が・・・」
アヤマロの部屋の外で控えている間、キュウゾウは今日一日の事を思い起こしていた。ヒョーゴが負け、自分が斬りあった相手がいつか蛍屋の傍でシチロージを見ていた男だった事を。その男に「惚れた・・・儂もシチもお前の腕にな。」と囁かれた事を。(いつかシチロージが俺の顔と重なっていた相手、もしや島田カンベエ・・・)釈然としない思いが胸の中に燻ぶっていた。
カンベエを筆頭に農民に米で雇われた侍達で虹雅峡は何かと色めき立っており、キュウゾウは蛍屋行きも儘ならない。程なくして組主衆の進言もあり、アヤマロは侍狩りを発令した。
蛍屋のある‘癒しの里’は刀御法度の地、町も大店が軒並みを連ねアヤマロも表立っては摘発しづらいであろう。しかもシチロージは表面上、蛍屋の太鼓持ち・・。
(しかし、万が一・・・・)キュウゾウは御殿からそっと抜け出すと蛍屋に向かった。
ちょうど盆を下げるシチロージがキュウゾウを見つけ、
「これはお久しい」と満面の笑みを浮かべる。
「侍狩りがある・・・気を付けろ。」それだけ言い踵を返し戻ろうとした。
シチロージは「ちょいとお待ちを」と袂からさっと晒を取り出し引きちぎっていく。つい先日カンベエに付けられた傷が開き、キュウゾウの白い首筋に赤い線を残していた。シチロージは血を拭き、手際良く晒を巻いていく。思わずシチロージの肩を引き寄せるキュウゾウにシチロージが囁く。
「・・・キュウゾウさんもお気を付けて。」
御殿へ帰る道すがら、キュウゾウの(シチロージとは敵同士にはなりたくない)という想いは予感へと変化していく。
(2)想い―@
(なぜに・・・やはり・・・)2つの相反する気持ちがキュウゾウの中でせめぎ会う。蛍屋に踏み込んだ時、カンベエを護る様にシチロージがその身を庇った。シチロージの悲しげな眼差しとは対照的に、カンベエの目は挑むようにキュウゾウを見据える。畳で隔てられた薄い壁が、キュウゾウには越えられぬ高い山に思えた。
シチロージと共に、そして侍として生きる事が出来る道を選んだカンベエが羨ましかったからかもしれない。嫉妬と羨望で、テッサイがウキョウを止めなければ自分もカンベエにボーガンを撃ち込んでいた・・・野伏せりによりもたらされた情報で侍たちを待ち伏せている間、キュウゾウは自問自答を繰り返していた。
カンベエがヒョーゴに撃たれ、それを庇おうとして動いたシチロージの足元を着弾が襲った時、キュウゾウの体は答えを出していた。
(俺が島田を殺らなければ意味が無い。侍として島田に勝ち、そしてこの手に・・・。しかしまだ時期ではない。)
先の大戦からの戦友だったヒョーゴを斬った瞬間、キュウゾウは一切の迷いから解き放たれる。
「・・・・生きてみたくなった。」
ヒョーゴはキュウゾウの言葉に安心したように笑みを浮かべて息をひきとった。
「共に・・・」シチロージが近づいてそっと肩に手を触れる。シチロージを見つめ、微かに頷くキュウゾウの瞳が強い光を放っていた。
(2)想い―A
キュウゾウはいつもの様に五感全てを集中させ、先頭に立って見張り役を務めていた。後方では未だに自分を敵視している少女の疲れは見えるがしっかりとした足取りと、シチロージの何時に無く沈んだ足取りが体に響く。(・・・どうした?)あたりのことを気にしつつもシチロージのことが気がかりだった。
三組に別れカンナ村に向かう前にカンベエはシチロージを呼び出していた。
「キュウゾウと懇意であろう・・・この戦、奴の力が必要だ。・・・・分かっておろうな。」
「あなたらしくも無い。キュウゾウ殿はその様な裏切りは。」
「分かっておる。だが奴は儂を純粋に‘サムライ’としてのみ斬ろうとしているのではない・・邪念が入っておる。」カンベエは思わせぶりな流し目を送る。
(カンベエ様は相変わらずずるいお人でげすな。確かに私は今、キュウゾウに惹かれている。キュウゾウと出会い最初はキュウゾウの中にあなたの面影を捜していたような気がする。気付けばあなたで占められていたこの心がキュウゾウに占められつつある。その私に釘を打つ意味でもキュウゾウを見張れと・・・10年間も放っておいて酷な事をお言いでげすよ。)シチロージは今にも一雨来そうな空を仰ぎ見た。
(2)想い―B
兎跳兎の襲撃から逃れた為か、キュウゾウにやっと理解を示せるようになった為か、緊張の糸がぷっつりと切れた様に目に見えて辛そうなキララの為に、三人は少し仮眠をとることにした。丁度良い小さな洞穴を見つけると奥にキララを寝かせシチロージとキュウゾウは入り口の岩棚へ腰を下ろした。
「娘御の事、かたじけない。」
「いやなに、たいした事じゃありませんよ。・・・それより傷は痛みますか?」
「大事ない。・・・・久し振りだな、二人で居るのは。」
そう言ってキュウゾウはシチロージに顔を向ける。シチロージも笑顔で返すが以前キュウゾウに向けていた満面の笑みではなく出会った頃のゆるりとしたものだ。キュウゾウは壁のようなものを感じる。
「・・・何かあったか?」
「・・・キュウゾウ殿はカンベエ様と勝負なさるとか。」
気軽に聞こえるように言ったつもりの声が微かに震えている。キュウゾウはじっとシチロージを見詰め、
「全て終わった後だ。・・・その前にお前に・・・・。いやまた今度で良い。」
そう言うと背を向けてシチロージの背中にもたれる。
「お前の背中が一番落ち着く。」
「それじゃあキュウゾウの背中、私が精一杯守らせて頂きやす・・・たとえどんな状況になろうとも。」
そう言ってシチロージはキュウゾウの左手に自分の右手を重ねる。見上げると満天の星が瞬く。・・・明日はどうやら風が強くなりそうだ。
追補SS
カンベエの命により、シチロージとキュウゾウは二手に分かれカンナ村へと繋がる森に斥候に出た。
左へと進むシチロージは風の音に混じり、僅かに己を見つめる気配を感じる―殺気とは異なり蛍の光の様なその気配は近づくと一定の距離を保ち、すーっと奥へとシチロージを誘う様に導いてゆく。
(何かがおかしい・・・罠なのか・・。)
シチロージは感覚を研ぎ澄ませ、全身系を集中させて様子を伺った。未だ付いたばかりとおもわれる、その真新しい足跡を辿って行くと小さな小屋が岩場に隠れるようにして建っている。一瞬息を潜め、物音一つしない重い空気の中、シチロージが戸を蹴り上げてそのまま屋根に飛び移ると慌てた様子で、野伏せりが外に飛び出してきた。震えながら刀の柄に手を掛けるも、上からの一突きで息が絶えてしまう。何故か胸騒ぎが止まらないシチロージはキュウゾウの元へと急いだ ―
― キュウゾウは左に持っていた刀を持ち替え一人二人と切ってゆく。しかしその背後から忍び寄るように鉄砲を持った野伏せりが・・・シチロージはすかさずキュウゾウの背後に回り、左手で玉を跳ね除ける。
「シチ!」
キュウゾウは振り向きざまにシチロージの肩に飛び移り最後の野伏せりめがけて一太刀を浴びせた。すぐさまシチロージの傍へと駆け寄り、
「・・・痛むか?」
と少し窪みの出来た腕をゆっくりと撫でる。
「大丈夫。この腕はもう何も感じやせん。それよりキュウゾウ・・傷口が開いてしまいましたね。」
応急処置をしようとするシチロージの左手を尚も離さず、キュウゾウは愛しそうに撫で続けていた。
「・・キュウゾウ。」
シチロージが左の肩口に額を押し当てるキュウゾウの肩を引き離そうとするもビクともしない。シチロージは困ったように笑みを浮かべる。
「そんな固い所、額が痛いでしょうに・・・」
「どちらもシチの肩だ。」
ぼそりと呟くキュウゾウに、思わずシチロージはその引き寄せた金糸に唇を押し当て続ける・・
(2)想い―C
農民たちの士気も高まったある日、キュウゾウは昼飯を取りに戻ると先にいたゴロベエとヘイハチが談笑をしていた。
「・・・とカンベエ殿は何を言っても『それはシチが心得ておる』の一点張りでござった。」
「いや、全くもって古女房です。シチさんの事を話すカンベエ殿は心なしか饒舌ですしね。見ているこっちが妬けてしまいますねぇ。」
とヘイハチが相槌を打つ。
「・・・?キュウゾウ殿?」
ヘイハチの呼びかけに応じず、キュウゾウは足早にその場を立ち去った。
(古女房・・・妬ける?どういう事だ?島田はシチを・・・シチは?)
− その晩キュウゾウは見回りの時間に決定的な場面を目にする事となる。 −
村はずれの森の中でシチロージが月を見上げる。その背後からカンベエが現れシチロージを包み込む。根の生えた様に立ちつくしていたキュウゾウは、はっと我に返りその場を立ち去る。
シチロージはカンベエの腕の中で求めもせずかといって拒みもせずに身を硬くしていた。カンベエはシチロージを自分の方へ向けさせ、再び抱きしめる。昔の様にカンベエの背にシチロージが手を回すことは無い。
「・・・シチ。」カンベエが溜め息をつく。
「カンベエ様・・・」
「大戦中の花はそなたの左手が失われた時に散ってしまったのか?・・・まだ遠くには行っていない筈だ・・・行け。」
「・・・はっ」シチはカンベエの腕からするりと抜けるとキュウゾウが去っていった方向へと走り出す。
後に残されたカンベエは(どうやら儂は古女房を甘く見過ぎた様だ。)と自嘲気味に笑い、1人見回り役を務めるべく歩き出した。
(2)想い―D
シチロージがキュウゾウを見つけ駆け寄る。それに気付きキュウゾウが逃げる様に駆け出し、シチロージが追いかける。
「キュウゾウ、話を聞け!」
「来るな!」
キュウゾウは刀を抜いた。目は爛々と輝きとても話のできる状態ではない。シチロージはやむなく槍を構える。いつも冷静なキュウゾウの剣とは異なり、怒り、悲しみそして混乱により乱れている。幾度と無く手合わせをしてきたシチロージはその隙を突き、頭上を飛び越えてキュウゾウの後ろを取る。そのまま右腕を首に回し抱え込み、耳元で声を絞り出した。
「好きだ。」
「・・・何を」
「私が好きなのはキュウゾウだ。」
夜目でも分かる程、キュウゾウの耳はみるみる赤く染まってゆく。
「島田は・・・」
「確かにカンベエ様をお慕いしてきました。今も大切に思う気持ちは変りやせん。この身を挺してもお守り致します。・・・カンベエ様は今もそしてこれから先も私にとっては空なんですよ。でもキュウゾウ、あなたは私にとっちゃあ希望なんです。私が今想うお方はあなただ。」
シチロージは力の抜けたキュウゾウの体を自分の方へと向けた。少し冷気が差し込む夜空に稲穂の匂いが混じりあう。しばらくしてキュウゾウが口を開いた。
「・・・待つ。」
「えっ」
「最初は島田を討てばお前の全てが俺のものになると思っていた。だが想いは消せぬもの、だから待つ。・・・・だが島田は斬る。侍ゆえ・・・な。」ふっと笑みを漏らす。
(この居残りシチロージを待ってくれるんですかい。)つい目頭が熱くなり、シチロージは月を見上げるふりをする。
「万に一つ二人とも生き残ってしまったら一回、故郷にでも帰ってみませんか?」
「帰ってどうするのだ。」
「二人で道場なんて開くのはどうです?・・・私もいろんな意味でもっと生きてみたくなりやした。」
悪戯っぽく話すシチロージにキュウゾウは、無言でその頬そして首筋に躊躇いがちに触れていく。
「桔梗追補編」想い―D後
キュウゾウは首筋に当てた手をそっと引き寄せる。シチロージの脈と自分の心の臓の音が交互に響き、お互いの息が夜風と交じり合う。まっすぐなキュウゾウの瞳と躊躇う色を見せるシチロージの視線がぶつかり合ったその時、気配を感じ二人はその身を離した。
「・・・誰だ。」
藪の中からカツシロウが真っ赤な顔でおずおずと現れた。
「キュウゾウ殿、シチロージ殿、申し訳ない。眠れぬので少し夜風にあたろうと思い・・・失礼致したっ。」
うつむき加減でそれだけ言うと、くるりと踵を返し逃げる様に駆けてゆく。キュウゾウはばつが悪いのか不機嫌そうな顔でそっぽを向いた。シチロージはぷっと吹き出し、最初の忍び笑いが抑えきれずに腹を抱えて笑い出す。なかなか笑い止まないシチロージに苛々したキュウゾウはますます不機嫌そうな顔で覗き込んだ。笑っている筈のシチロージの涙の筋が残っている。
「・・・なぜ泣く?」
怪訝そうな顔のキュウゾウにシチロージは短く溜息をつき、
「なんででしょうかね・・・あなたと逢ってから私はちょっとおかしい。やけに稲穂の匂いが鼻先にまとわりつくし、やたらと夜空の星が輝いて見える。」
頬に残った涙を払い大きく息を吸い込むとシチロージは
「今日はこれで満足です。」
と微笑み、茫然と立ちすくすキュウゾウを残しひとり、森の奥へと入っていった。(私だってあなたに触れたい。でも触れる前の感覚を、そしてこの気持ちをもう少し胸に刻んでおきたいんでげすよ。)シチロージは火照った体を木肌に預け、小望月にやさしく微笑んだ。
*小望月―十四夜の月です。
(3)帰郷―@(キスあり)
カンナ村は野伏せりに勝利し、侍たちは1人同士を失った。
程なくしてカンベエはサナエを救い出す為1人都へと旅立った。旅立つ前シチロージをそっと呼び出す。
「キュウゾウは追って来るだろう。だがお前はここに残れ。村を再建しろ。」
「・・・承知。」
「今生の別れとなるやも知れんな・・・この戦いが終わればキュウゾウはすぐにでも儂と立会いをしたがるであろう。」
そう言ってカンベエはシチロージの頬に触れる。シチロージは言う言葉が見つからず、ただカンベエを見つめる。一文字にきつく結んだ口元が微かに戦慄く。カンベエはふっと笑い去っていった。
「モモタロ!」
コマチの声が背後から聞こえ、あわてて涙ぐんだ目を隠すように伸びをする。
「これはコマチ殿。」
「キュウタロウも行っちゃうですか?」
「おやおや、聞いてたんですかい。」
「良い物があります。」
シチロージの手を引いて、コマチは村の蔵へと入っていった。
一刻程してキュウゾウがシチロージの元に現れる。
「・・・探した。」
「・・・やはり行くのですか?」
「最後まで見届ける。・・・そして島田を斬る。」
キュウゾウはシチロージと目線を合わせようとしない。シチロージは覚悟はしていたもののいざ言葉にされると動揺を隠せない。それでも無理に笑顔を作り、
「そうだ、コマチ殿から渡してくれと言われました。それとこれは私から。」
笹の葉でくるんだ糒(ほしいひ)と竹筒を2本手渡す。
「・・・かたじけない。」
キュウゾウはシチロージと向き合い、じっと見つめる。そうして頭から順に整った眉、引き締まった滑らかな頬と確かめるようにそして覚えこむ様になぞってゆく。一瞬躊躇うように動きを止め上唇から下唇へと指を滑らす。そしてすばやく自分のそれと重ね合わせた。
「行ってくる。」
呆然として声を出す事の出来ないシチロージと唇のぬくもりを残し足早に去った。
次の朝、コマチがシチロージを見つけて走り寄って来た。
「そう言えばモモタロ竹筒を2本も何を入れたですか?」
「1本は水で、後の1本はお守りでござい。」
首をかしげるコマチにシチロージは自分の鼻をはじく。(私を忘れない為の・・・ね)
*蛇足説明−糒とは炊いたお米を干した保存食です。
追補SS
シチロージの温もりが残るままかけだしたキュウゾウは外気によって体の火照りは冷めてゆくが唇とシチロージに触れた指先は反対にどんどん熱さを増してゆくのを感じた。カンベエを追いかけながらも先刻の光景が頭にちらついて離れない・・シチロージの柔らかな微笑み、戸惑った眼差し、そして小刻みに揺れていた睫毛の1本1本が蘇ってくる・・・
(シチ、お前をもっと知りたい。そしてお前のもっと違う表情が見たい)
昂ぶる気持ちを押さえようと、大きな杉の木の枝に腰を下ろしたキュウゾウはシチロージに手渡された竹筒の蓋を開ける。
(・・・!ゆず茶?!)
ふっと笑みを漏らしたキュウゾウは竹筒をじっと見つめて語りかけた。
「・・・そんな事をしなくとも、何時でも俺はお前を想う。」 ―
― キュウゾウが去った後、シチロージは茫然と右手を口に押し当てた儘、立ち尽くしていた。握り飯を持ったキララが離しかけている事も気付かずに、ただただ何度も溜息を漏らす。キララは家の中に握り飯を置き、シチロージの正面に立った。そして覗き込むように
「シチロージ様、どうなさったのですか?お顔が真っ赤で・・・熱でもおありなのでは?」
額に手を押し当てようとするのをゆるりと静止、
「なあに、心配いりやせん・・・少しのぼせただけですから。」
と照れ臭そうに笑みを浮かべ、そのままそそくさと森の中へと消えてゆく。
(軽く触れただけなのに・・・口付など幾らだって・・・)
気を紛らわそうと目的のない儘に走り出すが、唇に残る甘い痺れはますます酷くなってゆく・・・
(キュウゾウ、今度逢う時は覚悟しておくんなさい!私もどこまで我慢出来るか分かりやせんぜ・・・)
シチロージはキュウゾウの金糸色に輝く稲穂をそっと掴み、唇を寄せた。
(3)帰郷―A
蛍屋につくなりユキノに
「モモタロさんの土産は?」
と上目遣いで睨まれる。シチロージは額を打ち軽口をたたくも、目は一人の男を探していた。察しの良い女将は
「キュウゾウ様なら外に出てるよ!愛しいお方に逢う前にひとっ風呂浴びてきたらどうだい?」
シチロージは苦笑し言われるがままに風呂へと向かう。風呂から上がり縁側を歩いているとキュウゾウがいきなり現れた。そのまま抜刀し丸腰のシチロージに向かって振り下ろす。不意を突かれたシチロージはかわそうとするが、湯上りで下ろしていた髪が数本はらはらと宙に舞う。きらきらと光ったその金糸をキュウゾウはすくい上げる。
「・・・お守りだ。」
「じゃあ私も。」
「必要ない。・・・お前のお守りはこの俺だ。」
ふっと笑顔を向ける。ハッとさせる程美しく、蛍の光の様に儚げなこの笑顔をシチロージは後々までもずっと覚えていた。
「いよいよ明日ですね。」
「共に戦うと誓った。」
キュウゾウは口角を上げ先程の戦利品を眺める。
「・・・冥府はどういう所でしょうかね。私が先に行っても入り口できちんとお待ちしてますよ。」
「俺はこの髪でシチを探す。」
(・・・そしてこのぬくもりで)キュウゾウはシチロージの背に凭れながら、手の平にあるものにそっと口づけた。
(3)帰郷―B(死にネタです)
カンベエを護ろうとしたカツシロウが近衛兵に向かって連発銃を撃つ。貫通した着弾がそのままキュウゾウの体を蜂の巣にした瞬間、シチロージの体は動きを停止した。口が渇き急に呼吸が出来なくなる。見えるのはカンベエに抱かれたキュウゾウのみ。自分の張り裂けんばかりの心の臓の音と息も絶え絶えなキュウゾウの声だけが頭に響く。
「村で・・・、待つ。」
そう言ってカンベエの腕の中からシチロージの方に僅かに頭を動かし、既に何も映らない瞳を向け口だけ動かす。
(ト・・・モ・・・ニ・・・)
唇はそれを最後に動かなくなった。
― 村人が総出でキュウゾウの遺体を捜し、村へと運んだ。キララが清めを申しでるが、シチロージは澄んだ目を上げ、
「ここは私が。」
と微笑む。キララが尚も手伝おうとすると、傍にいたカンベエが手で制し首を横に振った。
シチロージは少しだけ小さくなった、透き通るように白いキュウゾウをそっと小屋へと運ぶ。
「お帰りなさい。」
シチロージは愛しげにキュウゾウを見つめ語りかける。
「いつだってあなたは先行するんですから・・・」
そして既に冷たく硬くなった体を清めていく。キュウゾウの死を確かめる為に、そして愛しい人を忘れないようにゆっくりと、顔から順に唇を除いて・・・しかし清めた傍からひとすじまたひとすじと、シチロージの涙がキュウゾウの肌を濡らす。また濡れた所を順にゆっくりと清めていく・・・
(何やってるんでしょうね、私は、・・・)
唇に触れようとするも思い留まる。
「ここだけは勘弁してください。あなたのぬくもりを覚えていたいんで。」
ふと片方の手が強く握り締められている事に気付く。死後硬直で開きようも無いが、僅かに金糸が覗いている。
(・・・私の・・・髪?)
シチロージは嗚咽をかみ殺し、涙を拭おうともせずに、その手に震える唇を落とした。
(3)帰郷―C
−それから数年の後、シチロージは故郷の小さな村で道場を開いていた。
昼下がり兄弟子達に指導を任せ、そっと道場を抜け出す。シチロージは縁側に座り、小さな紅のお守り袋を取り出した。最初は小さな布に包んでいたが、蛍屋に寄ったときユキノが見かねて、「お前さん・・・こんな大事なものを布なんかに包んでいちゃ駄目じゃないか。」と言って縫ってくれたものだ。
中には少し縮んではいるが自分より少し濃い色の金糸が入っている。しばらく愛しそうに眺め、シチロージは柱に凭れてゆっくりと目をつぶる。
(私は生き抜いて見せますよ、見ていて下さい私の生き様を、そしてあなたに負けない死に際を。・・・この先あなた以外の人を想うやも知れません。でもね、背中だけはどんな方にも貸しやしません。あなた専用の背凭れですから。)
ふっと春の風がシチロージの風を撫で、そして唇に触れる。
(しばしの間私の目を通してこの世界、ご覧になって下さい。・・・なあに、多少色が付きますがね。・・・それと冥府に行ったらちゃんと見つけて下さいよ。私の方が先に見つける自信はありますけどね。)
−いつでも目をつぶればあなたの笑顔が、そして背中にはあなたの温もりを感じる。−
ト モ ニ イ キ ル
桔梗 (完)