千日紅(S7―2次創作797)
千日紅@
遠くて近い未来の話、ある国で戦争がありました。もう何年続いているのでしょうか?休戦条約が結ばれては一方が裏切るの繰り返しで、国土は荒れ、人々は疲弊し切っていました。
そしてこの小さな街もつい一週間前からの空襲で家々は焼かれ、気づくと焼け野原には煤けた顔の男の子が一人、雲一つない空を見上げていました。年は8歳位でしょうか。その澄んだビードロの様な赤い瞳にはなんの感情も見出せません。少年は悲しいのでしょうか?それとも淋しいのでしょうか?たった一人で何時間も空を見上げるその姿に周囲の大人達が声をかけます。
「お母さんは?お父さんは何処?」
少年は、声が発せられる方にちょっとだけ首をかしげ、不思議そうに見つめるばかり。可哀想に思い、一人の親切な小母さんが近くの孤児院まで連れて行く事にしました。
孤児院の院長先生が名前を訊ねても、少年は一向に答えず、瞬きすらせずに、じっと見つめるばかり・・持ち物といったら首から提げたターコイズの指輪だけで中には何も刻まれてはいませんでした。
(空襲のショックで一時的に記憶が途切れているかもしれませんね。)
ふぅーっと溜息をつき院長先生は眼鏡を拭きながらしばらく目を瞑り、少年をそっとしておく事にしました。
(幾人となく傷を負った子供を世話しても尚、新たな傷に触れると胸が痛くなるものです。どうしたってこれだけは慣れっこない。)
自嘲気味た笑いを浮かべ、せめて自分だけは笑顔でいなくてはと院長室のドアを開けたのでした。
孤児院の名前は虹雅院。0歳から15歳までの孤児達が約100名程、共同生活を送っていました。
今年で8歳になるシチロージやヘイハチ、ヒョーゴもその中で肩を寄せ合うようにひっそりと・・・一見、穏やかな日々を送っていました。
みんな時期はバラバラに連れて来られたのですが、面倒見の良いヒョーゴや分け隔て無く親切なヘイハチと違い、半月程前に入ったばかりのシチロージは何故か誰とも、目を合わせ様とせずいつも隅でぼんやりとと何処か遠くの空を眺めていました。辛うじてヘイハチのその心からの親切には応じようとします。
少年が連れて来られた日 ― 少年は院長の手を離し、いつもの様に蹲っていたシチロージの傍につかつかと歩み寄ります。シチロージは顔を上げても尚、焦点が定まらぬ様子に少年は首から提げていたネックレスを外し、シチロージに掛け、そして僅かに微笑ました。
千日紅A
髪に一輪の赤い薔薇を差し
アイスピックを小脇に抱えた君
そのつややかな唇と
ビードロの様に透き通った何も写し出さない瞳に魅了され
今まで何人の人々が君を抱き締め
そして崩れていった事だろう
君はその度に一瞬の歓喜の叫び声を上げ
その後に続く絶望と虚無の深海に漂いつづける
もし僕がその薔薇に魅せられる事もなく
君に指1本触れる事もなしに
瞳は宙を彷徨い続け
この心臓をアイスピックに深々と突き刺していったなら
君の僕の記憶と共にアイスピックを持ち去ったとしたならば
君にかかっている呪縛は解く事が出来るんだろうか
***
丘の上ではタンポポの綿毛を無心で一人の男の子が吹いていました。
何本も何本もまるで全ての綿毛を無くしたいかの様に
はたまた、全ての綿毛を旅立たせたかったらかもしれません。
無数の綿毛が風に乗って何処か透き通った空へ
そして雲に誘われて長い列を作っては離れてゆっくりと昇っていきます。
少年は丘の上の大きな樹の幹にその身をゆだね、そっと目を閉じました。
光の粒子達がまるで万華鏡の様に影を落とし、シロツメ草の甘い香りと鼻孔をくすぐります。
このまま光達に紛れて消えてなくなりたい、そんな事たわいも無いことをうつらうつら考えていると
ゆっくりとした足音が近づいてきます。
「やあ、ここでしたね。」
いつものにっこりとした恵比須顔でヘイハチはシチロージに笑顔を向けました。ぼんやりとして、施設でも浮いた存在のシチロージにある一定の距離を保ち、なにこれと気を配ってくれるヘイハチに、シチロージは感謝の意を示しかすかな微笑みを向けるのでした。それを合図にヘイハチは少し離れた所に腰を下ろし眩しそうに空を見つめます。
「空が高いですね。今日は風が強いせいか、まるで雲が泳いでいる様だ・・・何か、思い出しましたか?」
何気ない口調で空から目を離さずにヘイハチはシチロージに問いかけます。
シチロージは諦観めいた瞳でゆっくりと頭を横に振り、また綿毛を吹き始めました。暫らくしてから、
「・・・ただ、最初から何もなかったような気もする。」
そう言って、綿毛をそっと手の平に乗せます。
(そうかもしれません・・無理に思い出そうとしなくても・・・これからが貴方のスタートならば)
ヘイハチは自分の母の最期を想い、自然と頭が垂れていきました。
シチロージはいつも親切にしてくれるヘイハチの一瞬、苦痛に歪んだ顔に思わず近寄っていきます。
どうすれば良いのか分らないまま、自然とぎゅっと握られて真っ白くなった拳を両手で包み込んでいました。
「シチ・・さん?」
驚きの色を隠せないままに、ヘイハチは慌てて笑みを浮かべ、頭を振って溜息をつきます。
口角は下がっていき、笑顔は徐々に自然なものとなっていきました。そして絞り出すような声で一言だけ
「ありがとう・・・」
それだけを言い、照れ臭そうに横を向いてしまいます。遠くで人の声が聞こえ、二人が一斉に振り向くと困り顔のヒョーゴに手を引かれて泣き腫らしたキュウゾウがやってくるのが見えます。しゃっくりを上げていたキュウゾウはシチロージの姿を見るなり「シチ!」と弾丸のように飛んでいきました。
「やれやれ、あの夜以来、懐かれてますね。」
にが笑いのヘイハチと、安堵と困惑の感情が入り混じったヒョーゴの顔を見比べながら、シチロージはキュウゾウに満面の笑顔を向けました。
(・・・やはり、キュウゾウの横顔だけを覚えている。・・・何故だろう・・あった事も無いのに。)
キュウゾウが院に入って10日ばかりした頃、みんなが寝静まったばかりの夜中に、
急に火の付いた様に泣き出したキュウゾウを恐る恐る周囲が見守る中、
シチロージはただ黙って抱きしめ続けました。
暴れるキュウゾウはシチロージの頬に噛み付き、腕を引っかきます。
それでも一向に構わず、シチロージは髪を撫ぜ、背中を擦り子守り歌を歌い続けました・・
シューシューシュラロ
シュロラクチャ
シュララ シュ・・・
何故かシチロージの脳裏に、ふと肩に掛かる髪を靡かせた横顔の男の子が蘇ってきます。
(あれはキュウゾウだったのか?)
はっと我に帰ると自分の腕の中ではキュウゾウはすやすやと寝息を立てていました。
千日紅B
向こう岸のタンポポが揺れていて
僕は君にそれを見せたくって
近くの古ぼけた小舟を漕ぎ出していた
オールは1本しかなかったけれど
ゆっくりとしたその流れに身を委ね
キラキラとした川面を眺めているうちに
水音の子守歌に誘い込まれるように
ほんの一瞬目を閉じたつもりだった
気付くと頭上には薄紅に灰色がかった儚げな雲が
ビーナスの眩しすぎる その微笑みが絶えないように
優しい闇を創り出していた
水音は僕を驚かそうと 船底を叩いては笑い声を上げる
僕はその身を乗り出し辺りを見回すと
波間の向こうから町の暖かな灯火が
その間には僕の大好きな川が
悲しそうに黒い口を開けていた
― 海に出るつもりじゃなかったんだ
***
シチロージ、キュウゾウ、ヘイハチ、ヒョーゴは同い年と言う事もあったのですが、虹雅院では−虹雅院というより、世の中で自分達が何処となく居心地の悪さを感じている様な、そんな所があって大勢の中にいても自分だけが妙に空気が重かったり、辺りが明る過ぎて色彩がぼやけてしまう、言わばちょっとずつずれて浮いてしまった者同士がつかず離れずそっと寄り添うようなそんな優しい空間があって、気付くと4人集まっているのです。院の近くには捕虜となった人々の収容所もあり、不可侵区域条約が結ばれていた事もあり、今の所は空襲も免れていたのでした。食べ物も育ち盛りの子供達がお腹いっぱい、という訳にはいきませんがとにかく四六時中食べ物の事で頭がいっぱいにしなくてもいいわけです。― しかし子供達は空襲に怯え、明日の食べる物さえ儘ならない状況の方が―つまり生きる事に精一杯だった日々の方が反対に幸せだったのかもしれません。
院に連れて来られた子供達は慣れてくると同時に、今まで押さえ込んでいた恐怖や悲しみ、怒り、絶望そして虚無感が時が経つにつれ、一気に吹き出してくるのでした。ある者は突然、手をつけられない程、暴力を振るい、ある者は何かに―例えば雷に―異常に怯え、皆で散々探し回った挙句、納戸でブルブル震えているのを発見されたり、・・・そしてある者は突然、院を飛び出したまま行方が分らなくなる。症状はまちまちでしたが院長を始め、先生達や院で働く人々はその傷の大きさ深さに心を痛めない日々はありません。キュウゾウもあの晩以来、寝る時は決まってシチロージのベットに潜り込んできます。そして空襲で焼け落ちた柱が頭上に落ちてきた時、自分を庇うように倒れこんでいった父と、父を助けられなかったその苦しみが、例えすぐ傍にシチロージが横になっていようと薄い氷の炎の様な膜となってキュウゾウを覆い尽くそうとするのです。
(息が出来ない・・・助けて・・。)
瞳は開いているものの、写るものといえば深い深い漆黒の闇ばかり・・朦朧とする意識の中で、それでも呑み込まれまいと夢中でもがいていると、背中からそして指先から段々と温もりが戻ってきます。と同時に囁くような声が耳元で微かに聞こえてきました。
(・・・子守唄?・・何て言っているのだろう・・)
言葉はよく分りませんが、不思議と聞いた事がある様なその歌に、言った事もない草木もまばらな砂漠でシチロージと二人、ぽっかり浮かんだ薄紅色の雲を眺めていた様な、そんな気がしてシチロージを見上げると既にシチロージは満ち足りた様な笑みを浮かべ、寝入っていました。キュウゾウもシチロージの寝顔を見て安心したのか、うとうととまどろみ始めたその時、コトリと物音がした様な気がしてふと音の方に目をやると、虚ろな目をしたヒョーゴが寝室から出て行くのが見えます。
(・・・こんな夜中に・・。)
いつもとは様子が異なりその危げな様子のヒョーゴにキュウゾウはそっとベットから降り、後を付いて行きました。
******
今から数十世紀前否、ほんの数日前の事なのかもしれない。地球に良く似た星、風球でのお話。
人の一生は実はこの風球から始まり水球、火球そして地球で人としての生涯を終える事となる。全ての星で生をまっとうする者が殆どだが、中には稀に、2,3さらには1つの星でその生涯を終えてしまう者もいて、それは個々によって異なるのだが何故そうなるかと言う事は定かではない。この4つの星は実に良く酷似しており、それぞれ別の宇宙に存在していた。文明が発達しようとも現段階においては未だ互いの星の存在は明らかになっておらず、人や動物はその星でその生涯を終えると魂のみが次の星へといく事になっている。記憶はその星に置き去りにしたままで・・地球が明らかに他の星と異なるのは置き去りにされた記憶達の重さが少ない事で、そのせいかこの星の人達は目に見える物を重要視してしまい、殆どの人が違和感や歪を抱えながらもそういった自分の心さえも無意識に封じ込めたまま生きている・・話を戻そう、魂だけの移動の筈が、ごく稀に記憶の断片が一緒にくっついてくる事がある。桜の花びらの様に・・ひたりと魂に寄り添いながら―
厳しい山脈に囲まれた草と木が頼りなげに風に煽られる痩せた土地が広がる場所に二つの部族が暮らしていた。お互いが狩猟を糧としていたが今まで争いごともなく、かといって特別に懇意でもない。普段はお互い干渉をし合わないそして、外部からの敵が攻め込んできた時は共に戦う。それが昔からのここでのしきたりだった。例外として、冬になる前の20日間ばかり協力し合って遠くに狩に行く。ここの村の男達は14歳になると一人前の男としてこの遠征に参加することが出来たのだった。それまでは働き者の母の手伝いをしながら空いた時間に父や大人達の見様見真似で弓の稽古を重ねていく。狩に参加しないのは女と老人、そして各部族の祭祀を司る者のみ。
今年14歳になったばかりのキュウゾウも狩りに参加できると日々、その腕を磨いていたのだった。キュウゾウの母は隣の部族出身で母親似のキュウゾウも部族の者と比べて、色が白くその金糸は日の光を受けて柔らかく波打っていた。他の多くの者はオリーブ色の肌と墨よりも濃くそして仄かに甘い黒髪、そして夏の海の様な濃いブルーをしてた。どこなく居心地の悪さを覚えていたキュウゾウは幼い頃から母に聞かされた部族の話を、そして同じ年になる従兄弟に逢ってみたかった。
千日紅C−797
小さい頃から僕は
羊と狼を一頭ずつ飼っていて
羊は狼を眠らせようと
隙を伺っては子守唄を口ずさんでいる
狼はその歌を聴きながら
朦朧とした頭の中で
いつか羊を血に染め上げることを
夢見ているんだ
二匹はお互いに少し離れて
腰を降ろしたまま
時折僕をじっと見つめ
僕の先の遥か遠く
夜明け前の海の空を見据えている
羊の眼は虚無と限りなく続くほの暗い柔らかな闇を
狼の瞳には無限に繋がる空と光の粒子達が
***
夜の森には魔物が棲みついているのです。それは暗い暗い深海のごとく人を寄せ付けず、一方ではその冷たい掌でそっと背中を抱きしめる様に誘い込むのでした。
キュウゾウは唇を一文字に結び、膝まで夜露に濡れ狼の遠吠えを微か遠くに聞きながら、ピンと張り詰めた森の中をただヒョーゴの背中だけを一心に見つめ突き進んでいきます。
いつもしっかりとした足取りとは異なり、その危なげな雰囲気はキュウゾウを段々と不安にさせていきます。
(シチも呼んできた方が良かったのでは・・・いや俺一人の方が)
ヒョーゴは大きな樫木の元でぴたりと足を止め頭を垂れていました。キュウゾウはしばらく様子を伺うことにして少し離れた藪に隠れていると、同じ院の歳は4歳位上の男の子でしょうか、体つきもヒョーゴより一回り以上大きく確実にキュウゾウの2回りは大きくがっしりとした少年が現れ、遠くて声は聞こえないのですがヒョーゴに何か言っているようです。そして手には何故か竹刀の様な棒を持っていました。急に胸騒ぎがしたキュウゾウが根が生えた様にその場に立ちつくしていると、ヒョーゴは静かに上着を脱ぎだしました。一糸纏わぬヒョーゴの上半身は月に照らされて夜目、遠目にも分かる程、その白い肌にいく筋も紫や赤黒い内出血の後が痛々しく残っています。少年は棒をヒョーゴの背中めがけて振り下ろそうとしていたその時、キュウゾウは
「やめろ!」
叫びながら少年に飛びつきました。
「なんだこいつは?!」
怒りをあらわにした少年はキュウゾウを突き飛ばし、ヒョーゴにくってかかります。ヒョーゴは尚も表情をなくしたままキュウゾウの方を振り返らずに
「俺に構うな・・帰っていろ。」
それだけ呟く様に言うと、目を瞑り背中を差し出そうとしました。いつもの面倒見の良い人情味溢れるヒョーゴとは完全に別人の様・・
「・・・ヒョーゴ?」
心配そうに顔を覗き込むキュウゾウは、尚もヒョーゴに殴りかかろうとする少年からヒョーゴを庇うかの様に二人の間を割って入ります。イライラした少年は狙いを邪魔なキュウゾウに変更し、一撃が振り落とされようとするのをヒョーゴが慌ててキュウゾウごと横へ倒れこみました。横倒しになったキュウゾウは立ち上がり少年をじっと見据え
「なんで・・ヒョーゴを殴るの?」
淡々とした口調にも怒りが、そしてその眼光は大人と言えども黙らせる程の強い光を放っていました。
「こっこいつの父ちゃんが俺の妹を殺したんだ!!こいつはこうされて当たり前なんだ・・・。」
目が飛び出そうな勢いで少年は叫び続けます。しかしその瞳はうつろで、言い終わるや否や、森の奥へと消えていきました。
「父さんが・・殺したんだ。」
「・・・・。」
「・・・俺のせいなんだ。・・・俺の父さんは医者で当時、俺の住む村では疫病が流行っていた・・・ワクチンの入手が困難でね、あの子の妹と俺のうち、残るワクチンが一つだけだった・・父さんは幼い僕を選んだ、息子だからね。その結果、あの子の妹は死んで僕は生き残った・・」
「・・・そうとも言い切れない、女の子はもう既に手遅れになっていたかもしれない。ヒョーゴの父さんが何を思っていたのかは分からないが、逝ってしまったその子の分もヒョーゴはきちんと生きなければ。」
いつになく大人びた様に見えるキュウゾウの横顔がヒョーゴには眩しく思え、ふっと上を向くと星達が無数に瞬いていました。つい先程まで怖いと思っていた森が嘘の様に優しい闇のベールがキュウゾウをそっと包みこんでいきます。
「キュウゾウ・・・今日はありがとう。」
返事のないキュウゾウに、
(もしや)
と苦笑交じりで隣を見ると案の定、いつもの様にそのままの格好で寝入ってしまっています。
(全く、これだからキュウゾウは)
軽い体をひょいと背中に担ぎ上げ、ヒョーゴは院に戻っていきました。少し疲れて眠たくもあったのですが何故か心は温かさがじわじわと広がってきます。
院へ戻り、シチロージのベットへとキュウゾウを運びますが、シチロージの姿がありません。しばらくすると例の少年と二人、肩を並べて帰ってきました。少年は目を真っ赤にしたまま俯いて、それでも表情は少しさっぱりとしています。ヒョーゴを見、少しだけ頭を下げ、自分のベットに戻っていきました。
「・・・シチロージ。」
シチロージはヒョーゴを見て微笑み、
「一眠りしよう。」
それだけ言うと自分のベットに戻っていきました。
すやすやと寝息を立てているキュウゾウを起こすまいとそっとベットに入るシチロージの手に温かいものが触れます。
「・・・おかえりなさい・・」
シチロージも自分より少し小さなその掌をやんわりと握り、ほっとため息をつきました。
「ただいま・・」
******
「私は参りません!跡取りなど兄者達、もしくはキクチヨやカツシロウに任せれば良いではないですか!
私は司祭様の元で修行を積んで参りたいのです。そしてこの呪われた一族を・・大地を少しでも清めたい・・」
頑なに言い放ち、俯くシチロージに母はそっと壊れ易いガラス細工を扱うように話しかけていく。
「今回の遠征にはあなたの兄弟が参加します。実は・・」
「父上はこの部族内でも飽き足らず他の部族でも隠し子などと・・・私は一体、何人の継母上がいるのでしょう?」
皮肉めいた口調で寂しげに笑うシチロージに母は思わず声を大きくする。
「違います!私の息子・・あなたの弟・・・つまり双子なのです。部族では双子は忌み嫌われる。不吉と呼ばれる双子の一人をこっそり妹に託しました。この指輪の片割れと共に・・・。丁度、妹も妊娠していて流産をしており、怪しまれることはなかった・・この事を知っているのはこのマチュ族では私とあなたと司祭様のみ、そしてピチュ族では妹夫妻のみ、他言無用です。キュウゾウには・・・あなたの弟です・・彼には従兄弟だと伝えてあります。決して兄だと伝えてはいけない。キュウゾウをこの一族の権力闘争には巻き込んではならないのです。」
「・・・・。」
あまりの事にショックを隠しきれないシチロージはただ目を見張り母を見つめる。母は黙って首からネックレスを外し、シチロージの掌に乗せ両手でぎゅっと握り締める。ネックレスのヘッドにはターコイズとシルバーの指輪がキラキラと光り輝いて、毎日キュウゾウの事を想い磨いていたのだろう、至る所に母の温もりが詰まっている様な気がした。
「遠征にはお行きなさい。キュウゾウを出来る範囲で良いから、どうか守って。たった一人の、あなたのこの母から生まれた弟なのだから・・・。司祭になるにしても・・跡取りの道を外れるにしてもあなたには・・・きっと過酷な道が待っています・・・司祭の仕事はあなたの考えるような仕事ばかりではない・・・。そしてあなたは悲しい程、美しく成長してしまった・・・。力のない母をどうか許して・・・」
それだけ言うとゆっくりと背を向け、寝室へと向かう母の後姿はシチロージの目には一段と小さく見えた。
マチュ族の長、アマヌシは表向き5人の男子を儲けていた。長男カンベエ、次男ヒョーゴ、そして3男シチロージ4男キクチヨ、5男カツシロウ。それまでマチュ族のしきたりでは長男が代々部族長の座を引き継いできたのだが、アマヌシの野心的、狡猾的な内乱により一族はアマヌシの血筋以外は絶えてしまったのだった。
「力ある者が一族及び、部族を治めよ。」
という新たなる秩序の下、親・兄弟でも・・いや親・兄弟こそ油断がならず毒殺や暗殺が繰り返されている。
5人と言ったが以前はもっといたはずで現在は5人というだけだ・・・
シチロージはとかく闘争に巻き込まれまいと幼い頃から父や兄達には付いて行かず、
司祭や同じ修行仲間のヘイハチと語らう事が多かった。
(キュウゾウ・・・ふたごの弟・・・私と似ているのだろうか?)
まもなく遠征が始まる。茜色の仄かに灰色がかった雲をぼんやり眺めていると
急に肩が重くなり顔を上げると、満足げなカンベエの笑顔が近づいてくる。
「良かった。お主、遠征に参加するのだな。」
「・・・司祭様も参加されるという事ですので。」
「お主は・・・やはり司祭になりたいのだな・・そうでなくとも・・いや・・。」
「?」
「必ず儂が長となろう!!」
愛しげに髪を撫ぜるカンベエにシチロージは
「兄者・・・皆が争わなくて良い方法は無いものなのでしょうか?」
思わず身を乗り出して訴えるのだがカンベエはのらりくらりと言い放つ。
「儂が長となった暁には必ずや部族内に争い事のない様。シチは相変わらず優しいのう。」
そう言って抱きすくめるカンベエにシチロージは何故か違和感を覚えた。
千日紅D−797
この山の頂の近くには
それは小さな泉があるという
いつも白乳色の濃い霧がかかっていて
星降る夜には 生まれたばかりの
小さな妖精たちが 水浴びをしに集まるんだ
僕は小さなカンテラを持ち出して
小屋を飛び出したんだ
夕日を背に浴びながら山を登り始める
瓦礫で爪が剥がれていき
幾度も転びながら
とっくにカンテラの明かりなんかは消えてしまったけれど
月明かりが僕の顔を 行く先を
優しく照らしてくれるんだ
妖精たちの落としていった
輝く星の石を君に見せたくって
そう 君の心が寒さで凍ってしまう前に
僕は急いで駆け出したんだ―
何よりも大切な君に どうか間に合いますようにって
***
その日、キュウゾウは校長室に呼ばれました。中に入ると見知らぬおじさんとおばさんがキュウゾウの顔を見てニコニコと微笑んでいます。校長先生も笑顔で告げました。
「キュウゾウ、こちらは今日から君のお父さんとお母さんになる人達だ。」
あまりの事にキュウゾウは立ち尽くしたまま声が出ません。
「・・・キュウゾウ?」
校長先生は心配そうにキュウゾウの肩に手を置こうとした瞬間、キュウゾウはパッと部屋を飛び出してしまいました。
(シチと・・・そしてみんなと別れるのなんて絶対嫌だ!第一、僕の父さんと母さんは一人しかいない。)
いつの間にか幾筋もの涙がこめかみへと流れ出し柔らかな金糸からみるみる光を奪っていきます。
(・・シチ・・シチ・・)
空はそれに呼応するかの様に紫色のほの暗い雲からぽつりぽつりとキュウゾウの頭の上に雨の雫が滴り落ちてきました。丘の上の菩提樹まで一気に駆け上がるといつもはそこにいるはずのシチロージの姿がありません。わずかな窪みが一つ、そっと触れてみるとまだ僅かに温もりが残っています。その温かさに思わずキュウゾウは堪え切れなくなり、あらん限りの声でシチロージの名を呼び続けます。やがてキュウゾウはその温もりの中で蹲ってしまいました。
― (・・・キュウゾウ?!)
急に降ってきた雨に近くの小屋で雨宿りをしていたシチロージは何もかも消し去ろうとする意地悪な雨音と時折パチパチと楽しげな音を立てる暖かな暖炉の薪火以外の音は聞こえるはずもなかったのですが、何故か胸騒ぎが収まらず、外へと飛び出していきました。菩提樹の傍まで来るとがたがたと震え瞳を大きく見開いたキュウゾウの姿が眼に飛び込んできました。
「キュウゾウ!!」
すぐさま抱きしめシチロージはキュウゾウの背中をさすり呼吸を合わせていきます。段々とキュウゾウの呼吸がゆっくりとしたものに変わるとそっと抱きかかえてそのまま小屋へと連れて帰りました。
ぐっしょりと濡れた衣服を脱がせ毛布で包んでやり暖炉の前に座らせます。何か言いたげなキュウゾウの前に熱いミルクの入ったマグカップをポンと置きます。
「・・・・。」
「早く飲んで、話は後から。」
上目遣いにじっと見つめるキュウゾウをただただシチロージは微笑んでいるのでした。ミルクを飲み終える頃、キュウゾウはようやく体に温かさが戻って来ると同時に、気持ちも落ち着いてきました。
「・・・養子に行く事になった。」
「・・・良かったじゃないか。良さそうな人達かい?」
「うん・・・でも一緒に入れなくなる。」
「いつも一緒だ・・・それにまた直ぐに逢えるさ。」
「本当に?」
「うん・・・指輪貸して。」
首をかしげながらもキュウゾウはシチロージに指輪を預けます。シチロージが指輪を額に当てるとぼんやりと指輪が輝いた様な気がしました。びっくりしているキュウゾウに指輪を返すとシチロージはキュウゾウの肩に手を置きゆっくりと話します。
「辛いときや苦しいときこの指輪を握ってごらん、きっとキュウゾウを助けてくれるから。」
そう言って微笑みかけるシチロージは目の前にいるはずなのに何故か遠くに行ってしまった様な儚げな様子です。心なしか瞳の色も淡い光しか放っていません。不安になったキュウゾウは
「シチ?」
シチロージの胸元に額をピタリと寄せました。まるで存在を確かめるかの様に・・・シチロージは毛布ごとキュウゾウを抱きしめます。
「・・・唄ってよ。あの謳を・・」
― 翌朝、キュウゾウが眼を擦りながら起きてみると隣で寝ているはずのシチロージの姿が見当たりませんでした。忽然と姿を消したシチロージ ― キュウゾウが養子に行くその当日も姿を現すことはありませんでした。
******
遠征の前日早朝、出立の儀式の為、司祭と共にシチロージとヘイハチは祠の祀ってある山麓を訪れていた。途中、湖で体を清める為、衣服を脱ぐシチロージに司祭が近寄ってくる。司祭はまだ30歳を過ぎたばかりで、いつも物静かな口調で話をし、濃い茶色の穏やかな瞳をしている。ふとシチロージの胸元に目を留めると何かを思い出すように目を瞑り、やがてシチロージの顔を不思議そうにじっと見つめて尋ねた。
「この指輪は?」
「母から貰い受けた物です。」
「・・・器の指輪・・では?」
「・・・?」
「魂を封じ込めると言われている。私も詳しくは知らないが、魂を封じ込められた指輪は持つ者を守ると言われているそうだ。」
「・・・。」
不思議そうに指輪を見、そして司祭の顔をじっと見つめるシチロージに司祭は緩やかな笑みを返しながら、
「あの山頂にある石碑の一つに魂を封じ込める呪文が書いてあるという。ただし呪文や方法は月光文字で書かれているので夜行かなければ、読む事ができぬであろう。」
「面白そうですね!行くときは私も是非!」
いつの間にか直ぐ後ろにヘイハチが立ってニコニコと笑顔を覗かせていた。
「その方法を知るのは良いが、魂を封じ込めるという事は人としての生が終わりということなのだぞ。」
溜息混じりでヘイハチをたしなめる司祭に思わず、ヘイハチも口を噤んでしまう。
ところがシチロージは
「方法を知っていても何の損にはなりますまい。ヘイさん、今度の遠征が終わったら一緒に行ってみませんか?」
悪戯っぽく微笑むシチロージに少し沈みがちだったヘイハチもいつもの満面の笑顔を浮かべ答えた。
その晩、マチュ族、ピチュ族が一同に集まり、出立の儀式が始まった。舞を舞うシチロージとヘイハチ達・・篝火の楽しげな炎と月夜の僅かな光だけで辺りを見渡すシチロージは自分に向かう紅の瞳にぶつかる―母さんと同じ瞳・・・キュウゾウ―シチロージは彼だけしか分からない微笑みを素早く浮かべ、そして舞い終えると闇に吸い込まれる様に紛れていった。
― あの人がシチロージ?俺の従兄弟?―闇に仄かに浮かび上がる金糸が舞う度に篝火の光を受けてひらりひらりと輝きを増してゆく。そして月の様に冴え冴えしい横顔、自分だけにしか分からない、優しい思わず俺も顔が綻んでいた、笑顔。いつまでもボーっと突っ立ているキュウゾウに隣にいたゴロベエは心配そうに顔を覗き込む。
「・・・キュウゾウ?」
「いや・・・何でもない。」
千日紅E−797
千日紅の花言葉は
永遠の愛や友情
それはこの世だけに留まる事ではなく
時空を超えて永遠に続くものだと
僕は信じているんだ
他生があるとして刹那的に感じる出会いや別れも
やはりどこかで繋がっているんじゃないかって
だから いつかどこかで また逢えるって
だけど 君恋しさのあまり 弱い僕は
一人になる恐怖に その痛みに 何度 唇を血塗らしただろう
選択肢は二つ
無機物になるか元の獣に戻るかだった
***
ぼんやりとどこまでも続く厚い雲を眺めていると今にも今年一番目の冬の白い子供達が空から舞い降りてきそうな、そんなぞくぞくする程の寒さの中、キュウゾウは自分の背中程の白樺の幹にもたれ掛かりながらゆっくりと目を閉じました。
養子先に行った家では程なくしてから優しかったおばさんが病に倒れ、仕事で家を空けがちなおじさんの代わりに学校へ行きながら看病と家事をこなしていきます。そして13歳の春が過ぎようとした頃におばさんが亡くなり、忙しくて面倒を見ることが出来ないおじさんはキュウゾウを全寮制の学校へと編入させました。キュウゾウに愛情が無かったわけではなかったのですがもともと、愛情を示す事が下手な上にほんの少しの想像力が欠けている人でもありました。
「キュウゾウ、一人で家にいるよりは友達といる方が楽しいだろう。休みも戻って来なくてもいいぞ。」
満足げに一人、頷いてさっさと送り出します。おじさんなりに考えてキュウゾウが昔、習いたがっていた剣術がある、そして昼寝が好きなキュウゾウの為に昼寝にもってこいの環境の学校をと考えていたのも、勿論キュウゾウは知りません。キュウゾウも(おじさんに逢いに帰ってきていい?)とは言いづらく、
「ありがとうございます・・・」
ほんの少しだけ笑みを浮かべて頭を下げたのでした。
そして編入初日、丘の上の学校目指し長い坂を上りきった所で
「キュウゾウ!!」
背後から自分の名を呼ぶ声がします。振り返ると息せき切ったヒョーゴとその後ろから、満面の笑みを浮かべたヘイハチが手を振っていました。
「やはり!あなたでしたか!後姿とその歩き方、間違いないと思ってました。」
キュウゾウも嬉しそうにヒョーゴ、ヘイハチに笑みを返し、一瞬、視線がヘイハチの隣へとほんの少し睫を落とし僅かばかりの諦めの色を消し去ってすぐにまた元の笑顔に戻りました。
「・・・元気そうだな。」
懐かしげに顔を覗き込みます。3年前とは異なってヒョーゴはぐんと背も伸びて薄っすらと髭さえも伸びています。ヘイハチは一見、そう変わらない様にも見えますがよくよく観察してみると、笑みが深く以前にもまして落ち着き払った様子が伺えました。二人共になんだか大人っぽく見えます。
「・・・お前は変わらないな。」
「そんなことないですよ、少しばかり・・髪・・伸びましたよね?」
少しむくれるキュウゾウに慌ててヘイハチはフォローにならないフォローを入れ、
ヒョーゴは一人嬉しそうに頷いていました。
学年は2クラスに分かれていて同じクラスのヒョーゴはいつもぼんやりとしたキュウゾウに昔と変わらず世話を焼いています。
「・・・キュウゾウ・・次は剣術じゃなくて算術の時間なのに剣術の用意をしてどうする・・」
照れくさそうにはにかむキュウゾウを横目で見ながらフッと思わず笑みが零れてしまう、と同時に時折外を眺めるキュウゾウの瞳には何も映し出されてはおらず、左手で鳩尾の辺りをぎゅっと握り締めながら唇を堅く噛み締めているキュウゾウを思い出し、ヒョーゴは何か自分でも訳が分からない苛立ちに捉われてしまうのでした。
「キュウゾウ!早くしないと授業に遅れる。」
そう言い残すと足早に教室を去っていきます。
「・・ヒョーゴ?」
「・・なんだ。」
「・・・教室・・・反対側だよ。」
いつの間にか隣を並んで歩いていたキュウゾウは顔を覗き込んでニヤッと笑うとほんのちょっぴり得意げにヒョーゴの袖をひっぱります。
「・・・厠に行こうと思っただけだ。」
「だってさっき・・」
二人、顔を見合わせて噴出しました。
「・・・温かい。」
「ん?ヒョーゴ、本当に早く行かないと遅刻だよ」
瞼の上には冷たいものが伝わってきます。ゆっくりと目をあけると白い羽達が舞い降りてくるのが見えました。
(いつになったら逢えるのだろうか・・・直ぐに逢えると約束した・・)
制服の下にそっと忍ばせた指輪を握りしめます。辛いときや悲しい時はいつも温かく、握るとまるで指輪がキュウゾウに語りかけてくるかのように安心しました。不安だった気持ちが嘘のように消えポッポと心に灯火が点いたようです。
(シチが隣にいるみたいだ)
しかし今は指輪は何も語ってはくれません。慌てて寒さの中、制服のボタンを外し指輪を出してみると今まで光り輝いていた指輪が今では鈍く弱々しい光となって今にも消えてしまいそうです。
(シチに何かあったのでは!?)
どうしようもない不安と何も出来ない自分の歯がゆさでいてもたってもいられないキュウゾウは思わず、空を仰ぎ見ます。
「シュー・・・シュー・・・シュラロ・・・」
シューローラクチャー
(!!)
思わず後ろを振り返ってみると、何度も何度も夢に見たあの人の微笑みが・・・
******
「ほらそこもと、ぼーっとしていると馬から落ちるぞ。」
にやりと笑い並んで馬を走らせるゴロベエにキュウゾウは昨晩の疑問を問いかけずにはいられなかった。
(母さんは本当にマニュ族出身なのだろうか・・そしてシチロージの母上も・・)
確かにシチロージは見事な金糸だが・・後の者はピチュ族と同じ甘い黒髪が多く肌の色もオリーブ色や優しいクリーム色の者が多く、キュウゾウやシチロージの様に光に透き通る様な、白い肌の持ち主は皆無だった。
(俺達は一体どこから・・・まさか母さん達は略奪されてきたんじゃ・・・)
キュウゾウはピチュ族の長の一人息子であるゴロベエを横目で見やりぽつんと呟く。
「・・・お主、何か知ってないか?」
「ん?何をだ?・・・ああ、お主の母上の出身か?・・どこかで北方の生まれだと聞いた事がある。それよりお主、狩に集中せい!」
その思いつめた表情を気にしつつもバシっと背中に活を入れ、ゴロベエは威勢よく一人、前の方へと突き進んで行った。
狩猟は主に鹿などの大型草食動物を弓矢で狙う。20日間といった長期間の狩となる為、昼間狩をした分をまとめて夜、皮を剥ぎ、肉を削ぎ、燻すといった解体作業を行うので、交代交代で休んでいる。キュウゾウが慣れない手つきで腸詰を作っている所にゴロベエがやって来て腰を降ろした。少し疲れている顔つきだ。
「この前の話の続きだが・・・お主の母上は三人姉妹だと聞いた事があるぞ。」
「・・・?」
「拙者の勘違いかも知れぬが・・・確か、それと母上含め三姉妹はかなり若い頃から実質上の人質としてマニュ族で育ったらしい・・・勘違いするな!別に閉じ込められていたわけでも、不自由していたわけでも無かったみたいだからな。その北方の国は今は滅んでしまってお主の母上は今ピチュ族にいるわけだ・・・また詳しいことが分かったら、その時に。」
それだけいい終えると腰を上げ自分のテントに戻っていくゴロベエにキュウゾウは慌てて
「ゴロベエ・・かたじけない!」
普段出さないような大きな声を出す。さっとふりむくとゴロベエは眉を上げて楽しげににやりと笑い返した。
一日の作業が終わり、キュウゾウは手や顔を清めようと小さな小川まで行き、その清らかな流れを掬っては顔にかける。そのあまりの気持ちよさに頭までザブザブと
(水の・・草の・・土の・・石の匂いがする)
その染み透るほどの冷たさに思わず小川を見つめると、ゆっくりとした流れの中に星々や優しい月が待っていてなかなかその場を離れる事ができそうもない。眼を閉じて腰を降ろすと風の音が心地良くキュウゾウの頬を撫でていった。
「・・・?」
急に頭に柔らかいものが被さってきたと思うと温かい手がキュウゾウを包み込む。
「風邪、引くといけないから・・・」
少し照れくさそうな優しい声がした。
千日紅F−797
この世の中に
永遠なんて存在しない事など
100も承知だけど
君に逢える度に想う
この瞬間が僕の永遠になりますようにと
どこまでも続くような暗闇の中
手探りで小さなキャンドルの明かりを灯すように
震える手で僕はこの小さな石の一つ一つに
僕自身を封じ込めたんだ
どうか大好きな君の元へと
****
「・・・遅い。」
微笑みながら近づいてくるシチロージが3年前とは異なり背も高く大人びて見えるのを何だか眩しく感じながらも少し、寂しい気がしてあれ程逢いたくてたまらなかった人なのにいざ目の前にすると、凍り付いた様に押し黙ってしまう自分に苛立ちを隠しきれないままに、キュウゾウはぷいっとそっぽをむいてしまうのでした。
「・・・悪かった・・・思ったよりも手間取った。」
「?」
「いや、なんでもない。」
思わずシチロージを仰ぎ見ると、最初は大人っぽくとだけ感じられたその横顔に影が差している様なそんな気がして急に不安になったキュウゾウは
「シチ・・?」
「いや・・大丈夫だから、それにいつも一緒にいたろ?」
「・・・そうだな。」
(確かにシチを近くで感じていた・・それ以上を望むのは贅沢というもの)
シチロージには悟られまいとふっと笑みを浮かべさっと立ちあがり雪を払うふりをして俯いたままに、声は努めて明るい調子で
「・・・みんな、喜ぶ・・ヘイハチなんか質の話ばかりしてたから・・早く教室に・・?」
ぎゅっと頬が冷たいものに押し付けられ段々と温かくなっていきます。懐かしい匂いがふんわりと包み込むと同時にキュウゾウは今まで抑えていた感情が溢れそうになるのを必死でこらえました。
「・・・おかえり」
「ただいま」
(このまま・・)しかし意地悪な時間はいつもより早く二人の間をすり抜けていってしまいます。
(・・・そうだ!)
「シチ!ちょっと!」
「ん?」
「ここに・・・そこがいい・・手を置いて」
「冷たい・・・で?っちょっとキュウゾウ!」
せっせとシチロージの手の上に雪を掛けていくキュウゾウはその上に自分の掌を重ねて片手で雪を掛けてゆきます・・。
「全くキュウゾウは・・」
それでも嬉しそうなキュウゾウの顔を見て訳も分からないままにシチロージはただただ嬉しさがこみあげてくるのでした。
「・・・でこれは何ですかい?」
「・・・」
満足げに、にやりと笑うだけのキュウゾウはさっと手を抜いて教室に駆けて行きます。
「ちょ、ちょっと待てキュウゾウ!」
キュウゾウは二人が手を重ねた場所に雪が溶けた春の日、こっそり花を植えようと思っていたのでした。
教室ではヘイハチがシチロージの顔を見るなり、飛びかからん勢いで駆け寄ってきました。
「シチさん!」
「やあ、ヘイさん!元気そうじゃ・・」
「元気そうじゃないですよ!急にいなくなったりして・・心配したんですから」
しっかりシチロージの両手を握りしめて離そうとしないヘイハチの隣にはヒョーゴも駆け寄り嬉しそうに一人
「これで4人揃った・・・。」
と頷きながら、何故か遅れてやってきたキュウゾウに
「なんだお前、せっかくシチロージが帰ってきたというのに・・鼻と手だけ真っ赤にして・・どうせまたこの冬空の下、昼寝でもしていたんだろう。」
少しばかり眉根を顰めるヒョーゴにもキュウゾウはただただ少し離れた所で嬉しそうにシチロージを見つめるのでした。
クリスマスも終わり短い冬休みが訪れようとしています。偶然、4人揃って寮に残ることになっているのを知り、どこかへ出かけようか否、残って勉学に勤しもうとかといろいろ計画を練っている最中に突然、扉が開き低い声が教室中に響き渡りました。
「シチロージはいるか・・・。」
******
月明かりに照らされて無数の星達の輝きがまるでキラキラと川面に写し出されたかの様に、その音さえ響き渡りそうな静かな流れをただ黙ってぼんやりと眺めているキュウゾウの髪を優しく拭いてやりながらシチロージは母上とキュウゾウがそっくりな事にただただ驚きを隠しきれないでいた。髪質からそしてしぐさまでもが・・
(母上に生き写しだ・・同じ双子というのに・・私は母にも父にさえも似てはいず・・)
ふっと疑問に思うと同時に深い感情がふつふつと湧いてくるのを感じ、この母上とそっくりな弟をこの身を呈しても守っていかねばという想いは自然と強まっていった。思わず
「似ている・・」
と呟くのを本当はシチロージの指に全身を委ねていたキュウゾウが見逃すはずもなく
「誰にだ。」
と間髪入れずに問う。一瞬たじろぐシチロージに今度は向き直ってから重ねてもう一度、
「誰と似ているんだ?」
静かな口調だが何故か緊迫した空気が漂っている。
「母上に・・・私の。」
「従兄だからな・・・そう言えばシチロージは俺より俺の母さんに似ていなくもない。」
「ははっ・・・そうなのか。」
キュウゾウの顔からこわばりがみるみるうちに溶け
「・・・今までお前やお前の母さんの話ばかり聞かされて育ったから・・・」
そう言うと、ふっと笑みを漏らした。そうだった・・・キュウゾウは兄弟がいない事になっている。・・・私の様に形ばかりで権力の向こう側に愛情を押しやられて拒絶されもしないが・・・
「従兄弟も兄弟の様なものだ。」
そう言ってほほ笑むシチロージの顔を見上げながらすくっと立つとキュウゾウは少し俯き
「いや・・・従兄弟でいい。」
そう言って頭に被さった薄衣をそのままに夜空を見上げながら聞き取りにくい様な小さな声で呟いた。
「・・少し・・歩かないか?」
少し小高い丘の上に二人並んで腰を降ろすと突然にキュウゾウが口を開く。
「シチロージは・・・シチは何故に狩りに出ない?何故、司祭の道を選んだんだ?」
「この地を清める為に・・・というのは多分、自分自身に対する言い訳に過ぎない・・・本当は逃れる為に、一族から、関わりたくないんだ・・争い合い、憎しみ合う関係は見ているだけでも私には辛過ぎる。そして父上の様に人を押しのけてまで這い上がろうという気もさらさら起きない・・・長の器というより、男としても何か足りないのだろうな。」
自嘲気味に最後は独り言の様に語るシチロージにキュウゾウは
「そんな事はない!反対に長の息子というだけで決められた道を選ぶより自分で選んだ道を歩むのはどれだ大変だったかと俺は思うが・・それに権力を誇示したがる奴よりもはるかにシチの様に陰で皆を支えていく人間の方が俺は・・・シチ?どうした?」
シチロージの頬に涙が伝わる。キュウゾウは思わずその顔を抱き寄せた。
「・・・悪い。・・・初めて人に認められた様な気がしたから。」
「俺はお前に逢えてよかった。例え従兄弟でなくとも・・・何者であっても・・・ただ、お前に逢えてよかった・・」
千日紅G
青く薄っすらと闇に浮かび上がる
その雪の上を
白しかない この季節だけの
この世界に 教えられること
キラキラと煌めく白い子供達の誘いに乗って
足元ばかりに見つめていくと
僕はいつも道に迷ってしまうんだ
かと思えば
白銀に彩りを変えた木達や空ばかり
見惚けていると
白い子供達に悪戯を仕掛けられる
近きを見て
遠くを想う
思えば簡単そうな事なのに
いつも僕は バランスを崩したままだった
****
ビスを打ち込もうとしたその手をふっと止めて最近お気に入りの少し小振りなインパクトを肩に乗せたまま、ヘイハチはぼんやりと窓の外を眺めていました。白く青味がかった雪にふんわりと夕日が差していきます。
(先程の御人は・・・結局シチさんとはどういう関係だったんだろうか・・やけに親しそうに感じたが。)
何か面白くないヘイハチは厚めのべニアにビスを固定させ、うわの空で打ち込んでいきます。
(シチさんもシチさんだ・・私が「誰ですか?」と質問しているのに、ただ曖昧に微笑んだだけで、そそくさと教室を出て行ってしまうし・・キュウゾウ君もキョトンとしていないでああいう時ぐらいは突っ込んで欲しいんですよね、全く・・・あっ!しまった・・間違えた)
「ヘイさん」
「なんです、シチさん・・今忙しいんです。」
「・・・何を作ってるんですか?」
「・・・あーっ、全く何ですか?」
「いや別に・・・技術室を通りかかったらヘイさんが見えたものだからつい・・院にいたころからヘイさんが何かものを作っているのを見ているのが好きだったから・・・。」
そう言って微笑むシチロージに思わず顔がほころびそうになるのをヘイハチはわざとぶっきらぼうに、
「それで、先程の方はどなたなんです?一体、あなたとはどんな関係なんですか?」
「先程の方と言いますと?」
「あの浅黒い髪の長い上級生ですよ!」
「ああ・・・養子先の義兄さんですよ・・」
ふと窓に視線を移したシチロージの表情が曇っていきます。
「どうも私は混乱しているようです・・・ヘイさんはヘイさんで大丈夫なんですが・・。兄者は・・兄者なんだけれど。」
「シチさん?」
「いや・・私がしっかりしなければ・・」
無理やり口角を上げるシチロージにヘイハチは
「何か分かりませんが、困った事がありましたら今度は私にきちんと言って下さいね!・・・消えたりなんかしないで下さい。」
「ほら、ボケっとしてないで行くぞ!」
ヒョーゴはキュウゾウを急き立てて渡り廊下を急ぎ歩いています。
外は仄かな青い色に包まれ高くは星々達が眼下には遠くに広がる街の光がそして足元にはぽつんと立った街灯から洩れる光に照らされて白銀の地がキラキラと幽かに煌めいていました。何処からか鈴の音が聞こえてきそうなそんなパリッとした黄昏時の空気の中を、キュウゾウが口を開きます。
「・・・見たことある・・気がする。」
「ん?・・・ああ・・さっきの人か?同じ学校だからな、どこかですれ違っているんだろう。」
「そうじゃない」
いつになく考え込むような顔をヒョーゴに向けキュウゾウが段々と近づき、顔を覗き込みます。
「な、なんだ?院にはいなかったぞ・・・確か・・その前は俺も分からないが・・・」
「ん・・・」
「まあ・・・必要だったら思い出すだろうよ・・そのうち。なあキュウゾウ、家から連絡が入って・・」
「ん?」
いつになく一瞬ためらうヒョーゴにキュウゾウは一つ頷くと微かに微笑みを浮かべました。
「この冬休みにな、義弟を預かることになったんだ・・こいつがちょっとやっかいでな・・あいつらにもお願いするつもりなんだが、面倒を・・」
ヒョーゴが最後まで言い終える前にキュウゾウはヒョーゴの袖をひっぱり大きく頷くとニヤリと笑い駆けて行いきます。途中で止まり思い出した様に
「シチの部屋、知ってるか?」
そして返事を待たずに走って行きました。
千日紅H
欲しいものは何一つ手に入らなかった
何でもかんでも手当たり次第 口に放り込んで
気づいた時には いらないものばかりを
無理やり自分に 押しつけていた
それを見た人達は 僕の好物だとばかり
僕の口の中に流し込んでいく
結局欲しいものを たった一つの大切な物が
遠ざかっていくのを 血の涙を流しながら感じた
僕はただ 漂うだけの存在にしかなれなかったんだ
***
キュウゾウがシチロージの部屋に辿り着いたのは夜も更けた頃、消灯時間はとっくに過ぎ皆、寝静まっていました。寮は3人から4人部屋となっていて、1人から2人同じ学年で上級生が下級生の面倒を見る事になっています。キュウゾウは音をたてない様にそっとドアを開き忍び足でベットに近づいていきました。シチロージが入っても3人しか埋まっていないこの部屋は丁度、留学の為に同時に2人の上級生が部屋を出た直ぐ後だったのです。二段ベッドの下に寝ていたシチロージは壁に顔を向けぐっすり寝入っているようでした。窓からは月明かりが薄っすらと赤みを帯びた白い耳と今は解かれて波打つ金糸を照らしていました。
(疲れてるのだろうな・・)
声をかけるのをためらったキュウゾウはそのままシチロージのベットにそっと潜り込みます。そして少し離れたシチロージの温もりの残る所で丸くなりました。
(シチの匂いがする・・・。)
そのまま幸せな気持ちでぐっすりと寝入ってしました。入れ替わるように起きたシチロージは寝ぼけ眼でキュウゾウを見、自分の毛布を巻きつけます。そしてもう夢の中の住人である彼の寝顔を夜が白々と明ける頃まで見続けるのでした。唄を口ずさみながら・・・
「お主ら・・いったい?不純異性いっいや、同性?行為・・あ〜どうでもいいわい!とにかく!・・」
「ゴロ先輩、落ち着いて!!」
しきりに辺りが騒がしくようやく起き出した二人はまじまじとゴロベエを見つめます。その様子に同室のヘイハチは腹を抱えて笑い転げ
「ゴロ先輩、この二人には何言っても通用しませんよ・・・昔からそうでしたから。」
怪訝そうに交互に2人を見比べ次の言葉を並べ立て様と口を開くゴロベエは自分をまっすぐ見つめるシチロージのそのどこまでも透き通る瞳とキョトンとした全く邪気の無いキュウゾウの眼に何故か圧倒され
(拙者の方が血迷うているのか?)
困惑気味な顔をヘイハチに向けると、尚も笑い続けるヘイハチは
「心配いりませんよ・・多分・・ね。大体、ゴロさんの発言らしくないですよ。」
今日はクリスマス休暇初日で大半の生徒が帰省する中、ヒョーゴの義弟で来年1年生に上がる事になっているウキョウが寮に遊びに来ることになっています。ウキョウもまた戦争孤児で両親を亡くしヒョーゴの後に養子に入った子です。その為か両親よりもヒョーゴに懐いていて休暇も忙しい両親といるより寮に残る事にしたヒョーゴといたいと必死で頼んだ様でした。それでもヒョーゴに宛てた手紙では両親が仕事で忙しいからとだけ・・ウキョウは、同じ境遇や生活レベルの子が少ない学校での何処か馴染めない学校生活や乾いた人間関係、食事を一人でいつもとる寂しさが、ヒョーゴに逢える日が来るこの日が来る事で乗り越えられると密かに楽しみにしていました。
粉雪の舞い降りる中、ウキョウはホームに降り立ちます。昨日まで折り数えていたあの気持ち・・昨夜は嬉しくて一睡も出来ずにいたウキョウは、改札が見えた瞬間また、ホームへと戻ってしまいました。
(どんな顔をして逢えばいいのだろう?)
さっきまであんなに早くヒョーゴに逢いたいと思っていた気持ちがみるみる嘘の様に萎んでいきます。
(やっぱり・・・学園までおしかけて・・邪魔だよね僕は・・)
雪は段々と大粒のものに変わりフワフワとウキョウの方にそして髪に降りかかりました。
(やっぱり・・・帰ろう・・)
切符売場の所に行くと背後から懐かしい声が聞こえます。
「何やってるんだ?出口はこっちだ!!」
見るとちょっと慌てた様な笑顔のヒョーゴが手を振っていました。ウキョウは途端、視界がぼやけてしまい俯いたまま改札を通ると
「悪い。」
と一言だけ言ったまま鼻を啜ります。ヒョーゴは髪やコートに雪が付いているのを取りながらその冷たさに
「風邪引くぞ。」
ぼそっと言うとタオルを出して丹念に拭きながらそっと自分のコートを掛けました。
学園に帰る道すがらウキョウはヒョーゴにずっと聞きたかった事を聞きます。
「・・・僕が来て良かった?」
「あたりまえだ。お前はたった一人の弟だから・・・。」
「血が繋がらなくても?」
「俺はそう思っている。大切な。」
「うん。」
まだまだ少年のあどけなさが残る笑顔でウキョウは頷き、自分よりも頭一つ分以上は背の高い義兄を見上げそして握っていた手を強く握り返しました。
******
夜が明ける頃、シチロージとキュウゾウは二人は揃って皆が寝静まる湖の畔へと帰って行った。ひんやりとした空気の中、白鳥が湖面を滑るように泳ぎその水面にキラキラ光る水紋を作り、テントの近くでは焚火の跡が一箇所だけ細く赤みがかった空に煙を燻らせている。焚火の周りには司祭とヘイハチ、そしてヒョーゴが深刻そうな顔で座っており、シチロージが
「兄さん・・」
と声をかけると背を向けたまま、
「明日の収穫祭の前にお前は国に帰れ・・」
一言だけ言うと席を立ちその場を立ち去ってしまった。気まずい雰囲気の中、呆然と立ち竦むシチロージにヘイハチはまずシチロージとキュウゾウに席を勧め一呼吸置いてから説明をする。
「私達は神の代弁者という事で、司祭になったものは時に・・自分の意に反する事をしなければいけない事があるんですよ。今はまだ、見習いだからいいんですがね・・つまりは・・その時にはその国の代表者が神の声を聞くという事でその者と・・儀式上、交わる事が出てくるんです・・」
途中、伏し目がちに途切れ途切れに自分でも納得がいっていないのか苦しそうに説明をするヘイハチは、ぱっと頭を上げて
「でも私はもっといろいろな国を見て回ろうと思っています。この様なやり方はどうも納得がいかない・・私もヒョーゴ殿と同意見です!司祭様!」
「・・・古くからある戒律なのだよ。」
司祭は寂しそうにふっと笑った。このやりとりをみてシチロージは全身から血が引くのを覚え
―頭の中で兄者の意味ありげな囁く声、母の許しを乞う涙声、そして先程の兄さんの背中・・兄さんも今聞いたんだ・・私に未だ年端もいかぬ私に見せたくはなかったのだろう・・優しい人だから・・
一瞬、眩暈を起こすシチロージを咄嗟にキュウゾウが抱き抱える。
「俺も先に帰る・・・心配だから・・な。」
結局、司祭の使いという事でヘイハチ、そして何故かゴロベエ、ヒョーゴも一緒に帰る事になった。
「いいのか?」
「いいも何も・・・帰りすが、獲物に出会ってもお前一人では処理できまいて。」
「かたじけない。」
にやりと笑うゴロベエにキュウゾウも頭をぽりぽりと掻いて馬を並べる。
「兄さん・・。」
「言っとくがお前の為に一緒に帰るのではないぞ・・私とて、あんな儀式、見たくもないからな・・
ところで、あのピチュ族の者はお前の母者に似ているな・・瞳がとても美しい・・」
目を細めて言うヒョーゴにシチロージも嬉しくなって
「私の従兄弟にあたるキュウゾウです。私の大事な大事な従兄弟・・兄さん、どうぞよろしくお願いします。」
と頭を深々と下げる。今は平安な時代でもこの先どうなっていくか分からない・・命を賭して守っていくつもりだがそれでも守りきれない場合は・・・うんうん、と笑って頷くヒョーゴは今日のねぐらを決める為、ゴロベエの所に馬を走らせた。後ろにいたヘイハチはシチロージの傍により重い口調で
「シチさん・・・司祭になるのは辞めようと思っていませんか?そうですよね、あんな話をされた後で・・」
「いや・・・その儀式が問題なだけで司祭自体はずっとなりたいと思っていましたから・・出来ればヘイさんと一緒にいろいろな国を見て回りたいですね!この国の戒律がいかに馬鹿げているかを証明するにはそれしかないと思うんです・・・」
「そうですよね!」
ヘイハチの顔がぱっと明るくなり
「折を見て司祭様に話つけましょう!」
打開策はきっとある、そう信じて・・
二人の後ろには少し長くなった影法師が楽しげに揺れていた。